『日本人とユダヤ人』に書かれた、関東大震災における虐殺に関する聞き書き

『日本人とユダヤ人』は、1971年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。この本で、最もノンフィクションに近いと思うのは、関東大震災について述べた部分である。

この部分についての批評は見た記憶はない。あまり大っぴらにしたくない人たちが多いのかもしれないが、大事な箇所だと思う。長くなるが、まず著者の意見を引用する。 

非常に強く関心をひかれるのが、関東大震災における朝鮮人虐殺である。

前にのべた迫害のパターンからすると、少なくとも当時は、朝鮮人が迫害されねばならぬ理由は全くないといって良い。
当時の日本が実質的には欧米の資本家に支配され、その資本家と日本人大衆の間に朝鮮人が介在して暴利を独占していたわけではもちろんない。
逆であり、その多くは、むしろ最下層にあって最低の労働条件で、最低とみなされる労働に従事していたのは事実である。
またおそらくは、もし関東大震災という突発的大天災が起らなかったならば、あの悲しむべき虐殺事件も起らなかったであろうことも事実である。
絶対に、うっせきした民衆の不満が天災を契機にして朝鮮人に向って爆発したわけではない。
ということは、その後、現在に至るまでの約半世紀、こういった事件、もしくはそれと同じ性格をもつと思われる事件は、何ら発生していないからである。

従ってこの事件の原因となると、どんな解説書を読んでもはっきりとはわからない。
いわゆる進歩的な人びとや知識人の解説は、むしろある種のイデオロギーの枠にこの事件をはめこもうとしているように見える。
だがユダヤ人の目から見ると、どう再構成してもうまく枠にはめこめない事件なのである。
一方、朝鮮人の側からの発言は、当然のことだが、それへの抗議・批難・憤激が先にたつから、やはり、何が真の原因かを明らかにしていないが、この明らかでないということ自体が、一つの事実を物語っている――すなわち、どこからどう見ても、迫害さるべき理由は全くない、という事実である。
もちろん迫害さるべき「理由」などは、いかなる迫害にも建前としてはありうべきはずはない。
だが今までのべて来たように、迫害されやすい社会的位置というものは確かにあったし、迫害された者は、その位置にあるか、その位置にあるものと連らなっているか、あるいはそのいずれかと誤認された者であるのが常であった。
だが、関東大震災当時の朝鮮人は、どう考えてもその位協と関係はないし、その位置にあると誤認されたわけでもない。

従ってゲットー略奪のように、朝鮮人部落を襲撃して財物をかすめた、などという記録はあるはずもないし、私の調べた範囲内では全くない。
従ってこの迫害はまさに「動物学的迫害」ともいえるもので、迫害の重要な一面を最も純粋に表わしている。
従って人類の将来のために、これは非常に貴重な資料である。
もちろん 私は日本人が動物的だなどという気はない。
いずれの迫害にもこの動物的要素があるが、日本人の場合にはこの要素のみだといいうるので、その他の場合には判別されにくい要素が、はっきり出ているからである。

ただ一つ確言できることがある。
震災で動転した日本人が、朝鮮人が攻めよせて来ると本気で信じていたのは事実だということである。
内村鑑三のような、キリスト教徒の非戦論者・平和主義者までが、木刀をもって家のまわりを警戒に当ったのは事実であり、おそらく彼は、もし朝鮮人が襲って来たらその木刀を振って本気で家族を守るつもりであったろうと思われる。
彼のような、高度の教育をうけ、外国にも住み、海外の事情に明るく、英文で書物を出版できるほどの知識人ですらそうであったとすれば、一般人がことごとく朝鮮人の襲撃を信したとしても不思議ではない。
では、なぜそう信ずるに至ったのか、だれかが意識的にデマをとばしたのか私にはどうしてもそう思えないのである。
もう半世紀近くたってしまったこの事件の真相を語ってくれるのは、当時の経験者の、何らのイデオロギー的主張も折り込まない思い出話であろう。

その次が、ある当事者からの聞き書きである。

私はYさんという日本人の友人の御母堂から、当時の模様をくわしく聞いた。
それによると、彼女は、地震と同時に、子供三人とともに庭にとび出した。
立って居られないような衝撃が少しおさまり、家が無事立っているのを確かめると、庭の広い隣りの従兄の家に避難し、子供をあずけ、また家に入って夫に電話をした。
当時の電話はダイヤルでなかったから夢中で交換手を呼んだ。
するとゆれかえしが来るのでまた慌てて家からとび出す、おさまるとまた家に入って電話をする――ということを二、三十分やって、はじめて、電話が通ずるはずはないことに気がついた。
その時、表の道路を、髪をふりみだし、子供をかかえ、すそをからげた足袋はだしの若い女が、「大変だあ、殺される!」と叫びつつ、数丁先の野砲一連隊の正門へと走って行くのが見えた。
この若い女の半狂乱の姿は余程印象が強かったとみえて、彼女は、半世紀後の今日でもその着物の柄までおぼえている。
この女は、自らそれと知らずに、一種の呪術師的役割を演していたのであろう。
何事か、とみなが道路へ出る。
その時、 だれいうとなく、玉川の河原から朝鮮人が大挙して押しよせて来たという。
つづいてそれが家々に押し入って手あたり次第に掠奪し、あたりかまわず火をつけ、井戸に毒を投げこみ、鎌で女子供を切り殺しているとエスカレートして行き、全員すぐさま兵営に避難せよということになった。
「はじめは半信半疑でした。でも電話局がつぶれたということは、警察もつぶれたことだから、もうだれも保護してくれないのだと思いましたし、
またあの女の人の印象が余り強かったので、子供のひとりを背に負い、二人の手をひき、戸口には「みな無事です。兵営に避難しています」と大きく書いて兵営に逃れました」と彼女はいう。
日本人 は戦前・戦後を問わず警察を百パーセント信頼し、安全は(コストをかけずに)すべてこれに依存しているから、これが壊滅したと気づいた時、彼女が突差に決心し、行動に移っても不思議ではない。
おそらく今でも同じであろう。
私は端的にたずねた。
「どうか御遠慮なく言っていただきたい。今でも、当時いわれたことはすべて事実だとお思いですか、それともデマだとお思いですか。どうか、何の考慮なく、
思った通りを言っていただきたい」と。
この落着いたもの静かな老婦人は当然のことのように言った。
「大部分は本当でしょう。というのは、大挙して朝鮮人が押し寄せたといいますが、日本人だって安全な場所へと大挙して押し寄せていったのですから、当然です。
被服廠の悲劇は余りにも有名ですが、あのように、どこかが安全といわれれば、みなかその方へと押し寄せたのはあたりまえのことです。
ただ服装も、言葉も、分囲気もちがう一団が移動すれば、異様に目につくというちがいがあるだけです。
当時は玉川の河原に朝鮮人のスラムがあり、彼らは砂利採掘と廃品回収をやっておりました。
電気もガスもない、板張りの小屋で、廃品の古紙などが所きらわず雑然とつんでありました。
あの時間にはきっと殆どの家で、コンロで木ぎれなどを燃やして炊事をしていたでしょうから、あの部落が一瞬にして灰になっても不思議ではありません。
あの人たちはおそらく着のみ着のまま、やはり安全な場所へと押し寄せたでしょう。
そしてすぐにこまったのが水だと思います。
おそらく近郊の農家の井戸に群がり集まって、つるべで水をくんで飲んだでしょう。
これは日本人でも同じです。
だが、これを見たその農家の人はどうだったでしょう。
服装もちがう、言乗もわからない。
そして体臭のちがう人びとが大挙して自分の家の庭先に来て、今あったばかりの恐怖に上気して大声を出しながら井戸にむらがって水を飲んでいる。
たとえこの人たちがお礼を言ったにしても、聞くものには何か恐ろしげな言葉に聞えたでしょう。
事実、畑の中の小家族の農家では、地震の恐怖に加えて、大挙して押し寄せられたという恐怖があったとしても不思議ではありません。
また当時のお百姓は井戸を非常に大切にして神聖視していましたから、「井戸をよごされた」と感じたのは事実と思いますし、事実、よごして使えなくした場合もあったでしょう。
そして「井戸を使えなくされた」が「毒を投じた」になったのだと思います......」。

冷静なルポルタージュだと思う。この本の、この部分については、真実味を感じる。最後に、著者の分析が述べられる。

結局は、日本人も朝鮮人もほぼ同じことをやっていた、 の一言につきる。
事実この婦人も、子供たちの手をひいて「大挙して兵営に押し寄せた」ひとりだし、そこで馬に水をやるための井戸にみんなで群がって水を飲んだというからー
では一体全体、朝鮮人はなぜ虐殺されたのか、この大天災に遭遇して、思わず日本人と同じことをしたゆえに殺されたのだといえる。
そしてこれが、迫害において見逃すことのできない一要素なのである。
アメリカでも、黒人が、白人と同じことをすれば迫害される。
黒人はこれを皮膚の色(およびそれに象徴されるもの)の故だと思い込んでいる。
しかし日本に来てみれば、それが誤りであり、問題はもっと深刻なことがわかるであろう。
事実、日本人と朝鮮人には皮膚の色には差はないし、外観もわれわれには見分けがつかない。
従ってこれは、異種族への動物的・本能的拒否とでも言う以外に説明がつかないであろう。

 


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