「現実の世界から仮象の国への飛翔のなかに単なる行き当たりばったりの刺激を求めて読書すること」ジョン・デューイ
学校と社会 (岩波文庫) ジョン・デューイ 1899年から一部引用。
今であれば、この文中の「読書」を「ネットサーフィン」とか「SNS」に置き換えたらいいだろう。
この本を読むことも、屈辱的なのだろうか?子どもと大人は違うのだろうか?
回りくどい表現が多く、読み通すのに苦労した。引用のために使えるのは、下の2か所である。
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子どもに最大限にうったえ、子どもの生活にとって完全な意味を持つということは、教科がたんなる外部的教科としてではなく、それが社会生活ととりむすぶ関連という見地から提示されるときにはじめて可能となるということが、忘れられていたのである。
子どものより日常的な・直接的な・個人的な経験が、それの解決・満足・遂行のためには書物の力を借りることが必要となるような諸諸の問題・動機・興味を提供するようにするという要求。
もしそうでなければ、子どもはなんら知識を渇きもとめることなしに(中略)書物に接することになる。
しかしてその結果は(中略)屈辱的に書物ばかりに頼っているので、思考と探求の活力を弱め、また、いじけさせてしまって、空想、情緒的耽溺、および現実の世界から仮象の国への飛翔のなかに単なる行き当たりばったりの刺激を求めて読書すること。
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