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「きみにとって、8月6日は、なにか意味があるかね?」

 「空港でのあの流血の惨事にアメリカ人が関係していたとは、絶対に信じられないわ。罪のない子供や老人...」 「きみにとって、8月6日は、なにか意味があるかね?」 「8月6日?ないわ。なぜ?」 「いや、いい」 ‘I refuse to believe that Americans were involved in the blood and horror of what went on in that airport. Innocent children and old men . . .’ ‘Does the sixth of August mean anything to you?’ ‘Sixth of August? No. Why?’ ‘Never mind.’ Trevanian " Shibumi" , 菊池 光訳 早川書房、2011年   アメリカ軍が広島に落とした原爆で恋人を失ったニコライ・ヘルの問い。多くのアメリカ人にとっては、日本軍が 宣戦布告前に、 真珠湾のアメリカ軍艦隊を攻撃した12月8日は覚えていても、8月6日の意味は知らないのだろう。もしかしたら、日本に住む人の多くにとっても。  

「識ることは難しい。だがひとたび識れば、行動を起こすことはたやすい」 

To understand is hard. Once one understands, action is easy. —Sun Yat-Sen Pendleton, Don "Continental Contract (The Executioner Book 5)" . Open Road Media. 『 マフィアへの挑戦4』 孫文の著作の言葉を少しアメリカ人が向きにアレンジした表現です。 この孫文の言葉は、『 孫文革命文集 』岩波文庫、2011年より、「孫文学説 行なうは易く知るは難し (抄)」の章に載っています。 非常に屈折した文章です。挫折した革命家なので、こういう悲憤に満ちた文章を書かざるを得なかったのでしょう。彼はいまだに台湾では国父と言われているそうです。 この文書の中で、彼は、「知ること艱きにあらず、行なうことこれ艱し」(「書経」説命中に基づく)という説がおかしいと、言います。 この思想の誤りとは、何であろう。それは、「知ること艱きにあらず、行なうことこれ艱し」(「書経」説命中に基づく)という説である。 この説は傅説(般の宰相)の武丁(殷の高宗)に対する言葉に始まり、それから数千年来、中国の人心に深く刻み込まれて、もはや打ち破りえなくなっている。 それゆえ私の建設計画は、いずれもこの説により打ち消されてしまったのだ。 ああ、この説は私の生涯で最大の敵であり、その威力は満清の一万倍にもなる。 満消の威力は我々の体を殺しうるにすぎず、我々の志を奪うことはできなかった。 ところが、この敵の威力は我々の志を奪いうるだけでなく、万民の心を惑わすことができるのだ。 だから、満消の時代に私が革命を主張すると、日に日に効果を上げ、たゆまず前進することができたのに、民国が成立した日から私が建設を主張すると、逆に全くなす術がなく、一敗地にまみれてしまったのだ。 私の三十年来絶えず至誠を捧げてきた心が、ほとんどそのために跡形もなく消え去りそうになり、幾度失敗しようとも挫けることのなかった志が、ほとんどそのために幻滅して無気力になるところであったのは、これによる。恐るべし、この敵。憎むべし、この敵。 このペースで彼は書いていきます。その熱意は凄いと感心します。 アジテーションの見本です。では、何が正しいと孫文は言うのか? 「孟子」尽心 [上]篇に、...

『未来をひらく歴史―日本・中国・韓国=共同編集 東アジア3国の近現代史』に書かれた関東大震災と朝鮮人・中国人の虐殺

1923年に起きた関東大震災 の震源と発生状況については、 この記事 が詳しい。それによると、 関東大震災では11時58分32秒に発生したM7.9の本震から3分後の12時01分にM7.2、5分後の12時03分にM7.3という巨大な揺れが三度発生した「三つ子地震」であることが最新の研究で判明した。つまり、本震の震央が神奈川県西部、続いて東京湾北部、山梨県東部が三つの地震の震源となった。 被害は東京(当時の人口:都市部250万人、郡部100万人)神奈川、千葉、埼玉、静岡、山梨に及ぶ広大な地域で震度6以上の揺れが発生。震度7の地域は、本震の震央とされる神奈川県小田原~鎌倉にかけての相模平野一帯から横浜、東京、房総半島南部にと広範囲に広がり、20cm以上の強い揺れが1分以上続いたとも伝えられる。震源とされる断層は、神奈川県西部から小田原、鎌倉、横須賀、横浜、千葉県館山を含む長さ約130km、幅70kmに至り、この断層が平均2.1mのずれを生じたという。 8分間に、巨大地震が3回起きたということだ。このようなことが再び起きるかもしれないし、起きないかもしれない。地震学者は、いつどこで大地震が起きても不思議ではないという。例えば この記事 では、「南海トラフ巨大地震。これは2035年からプラスマイナス5年、つまり2030〜2040年の間に必ず起きると言っていい」という。 地震は起きるものとしても、関東大震災の時のような人災は、防ぐことができるだろうか?  2006年に出版された、『未来をひらく歴史―日本・中国・韓国=共同編集 東アジア3国の近現代史』に書かれた、関東大震災と朝鮮人・中国人の虐殺についての記述である。長い引用となるが、 『日本人とユダヤ人』での、関東大震災についての記述 と合わせて読むと、朝鮮や中国の人および日本に住む人にとって、この事件はどういう意味を持つのかがわかると思う。 1923年9月1日、日本の関東地方南部でマグニチュード7.9の大地震が起き、木造の住宅だけでなく、鉄筋コンクリートのビルディングも破壊されました。 住宅が密集する東京・横浜では、大きな火災が発生し、被災者は 1960万人、死者9万人、負傷者10万人、行方不明者4万人を出しました。 これを関東大震災といいます。 このとき、多くの朝鮮人と中国人が殺害される事件が起こりました。 どう...

『日本人とユダヤ人』に書かれた、関東大震災における虐殺に関する聞き書き

『日本人とユダヤ人』は、1971年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。この本で、最もノンフィクションに近いと思うのは、関東大震災について述べた部分である。 この部分についての批評は見た記憶はない。あまり大っぴらにしたくない人たちが多いのかもしれないが、大事な箇所だと思う。長くなるが、まず著者の意見を引用する。  非常に強く関心をひかれるのが、関東大震災における朝鮮人虐殺である。 前にのべた迫害のパターンからすると、少なくとも当時は、朝鮮人が迫害されねばならぬ理由は全くないといって良い。 当時の日本が実質的には欧米の資本家に支配され、その資本家と日本人大衆の間に朝鮮人が介在して暴利を独占していたわけではもちろんない。 逆であり、その多くは、むしろ最下層にあって最低の労働条件で、最低とみなされる労働に従事していたのは事実である。 またおそらくは、もし関東大震災という突発的大天災が起らなかったならば、あの悲しむべき虐殺事件も起らなかったであろうことも事実である。 絶対に、うっせきした民衆の不満が天災を契機にして朝鮮人に向って爆発したわけではない。 ということは、その後、現在に至るまでの約半世紀、こういった事件、もしくはそれと同じ性格をもつと思われる事件は、何ら発生していないからである。 従ってこの事件の原因となると、どんな解説書を読んでもはっきりとはわからない。 いわゆる進歩的な人びとや知識人の解説は、むしろある種のイデオロギーの枠にこの事件をはめこもうとしているように見える。 だがユダヤ人の目から見ると、どう再構成してもうまく枠にはめこめない事件なのである。 一方、朝鮮人の側からの発言は、当然のことだが、それへの抗議・批難・憤激が先にたつから、やはり、何が真の原因かを明らかにしていないが、この明らかでないということ自体が、一つの事実を物語っている――すなわち、どこからどう見ても、迫害さるべき理由は全くない、という事実である。 もちろん迫害さるべき「理由」などは、いかなる迫害にも建前としてはありうべきはずはない。 だが今までのべて来たように、迫害されやすい社会的位置というものは確かにあったし、迫害された者は、その位置にあるか、その位置にあるものと連らなっているか、あるいはそのいずれかと誤認された者であるのが常であった。 だが、関東大震災当時の朝鮮人は、どう...

"It's Your Destiny." from the movie "Star Wars"

映画 『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』の終盤で、ダースベイダーがルーク・スカイウォーカーに向かって言うセリフ。このセリフの前に、ダースベイダーは、"I am your father."とルークに告げるという、観客にとってはかなりショッキングなシーンがあります。『スター・ウォーズ』の第1作において、ダースベイダーはあわやルークを殺す寸前だったので、意表をつく展開でした。このシーンの前に、ヨーダとオビワンが交わす会話が伏線になっていたのも、芸が細かいです。 さて、destinyの意味は何でしょうか。コウビルド英英辞典によると、二つの意味が載っているのですが、その一つは、こう書かれています。 Destiny is the force which some people believe controls the things that happen to you in your life.(= fate) 文中にforceが登場しています。 映画 『スター・ウォーズ』においてforceはキーワードであり、この定義はまさしくこの映画でのforceにふさわしいと思います。なんだか不思議な気がします。 もう一つの意味はこう書かれています。 A person's destiny is everything that happens to them during their life,including what will happen in the future,especially when it is considered to be controlled by someone or something else.      

"You're only as healthy as you feel." from the movie "Taxi Driver"

 映画「タクシードライバー」 (1976年)より、トラヴィス・ビックル(ロバート・デ・ニーロ)のセリフ。 日本のことわざ「病は気から」と、ある状況下では重なるが等しくはない表現だと思う。 2022年は色々なことが起きた年として記録されるだろう。 7月8日に起きた日本の元首相殺し事件はその一つとなる。 この被疑者のことはよくわかっていない。 しかし、例えば2019年に起きた京都アニメーション放火事件の被疑者のこともよくわかっているわけではない。 ただ、このような事件が起きると、この映画とトラヴィス・ビックルのような人を思い出す。

「この特定の老女は……闘志をかきたてるんだ」 “This particular old lady is a . . . a challenge.”

 “This particular old lady is a . . . a challenge.” Dick Francis "Reflex"1980 菊池 光 訳『反射』早川書房、1982年  challengeという言葉は、「挑戦」と単純に訳すのはもったいない時がある。菊池 光さんは、このように訳した。秀逸な表現だと思う。  この会話の前後はこのように記述されている。 「おれは、弁護士というのは、机に坐って偉そうなこというだけで、あちこち駆け回って老女を操るようなことはしないもの、と思ってたよ」 「この特定の老女は……闘志をかきたてるんだ」 彼が話の途中で言い方を変えたのを感じ取ったが、そのことには触れないで言った “I thought solicitors were supposed to sit behind desks and pontificate, not go tearing about manipulating old ladies.” “This particular old lady is a . . . a challenge.” I had an idea he had changed his sentence in midstride. 闘志をかきたてることを、英語ではchallengeという短い単語で表現できるということでもある。面白い。 そして、「老女は」と「 闘志をかきたてるんだ」の間の空白が、この弁護士の心理状態を精妙に表している。そこまでの会話は、職業としての弁護士の言葉遣いだったが、間をおいた後の言葉は、彼自身の言葉になっている。彼がどのような人なのかをこの短い文の中で的確に表現している。 Dick Francis の小説は、無駄がなく、明確な文章の手本だと思う。

「社会学」Sociology

不明確さを統計学的霧で擬装し、心理学と人類学の間の情報不足の狭い隙間を食い物にしている擬似記述科学。 青年期を引き延ばすための四年間の知的休暇を正当化するのに大勢のアメリカ人が利用している実体のない専攻科目だ。 Sociology, that descriptive pseudo-science that disguises its uncertainties in statistical mists as it battens on the narrow gap of information between psychology and anthropology. The kind of nonmajor that so many Americans use to justify their four-year intellectual vacations designed to prolong adolescence.  Trevanian. Shibumi  菊池 光訳  早川書房、1979年  社会学とは何かについての、身も蓋もない表現だが、少なくとも一つは実例の著作を挙げることはできる。  例えば、土井隆義『「宿命」を生きる若者たち』岩波書店、2019年 はその一つである。